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津山城天守台石段について [名城をゆく]

★ずっと前から気になっているのですが、

 津山城の天守台石段は現況の北側から上がるのが江戸時代の縄張りなのでしょうか?それとも南側からでしょうか?

 記載が異なるので...

★城郭探検倶楽部(新人物往来社刊:2003) 

 「現在残る北側の石段は後世に付設されたもので、当時のものではない」と明記(加藤理文氏)

★よみがえる日本の城5(学研刊行:2004)

 津山城天守復元立面図(復元:石井正明)では北側で作図。CG(では南側で作成。付録の津山城絵図では反対方向で確認できません。

★縄張り的には

  一旦迂回しないと天守台にあがれない南側で正しいと思うのですが、後世の石垣にしては写真で見る限り天守台の石垣と同年代に見えるのです。

★行けばわかるのでとは思うのですが

 津山城へは20年以上前に行ったきりで、この部分の記憶がないのです。

★よみがえる日本の城シリーズ(学習研究社25冊)は

 名城を歩く(PHP出版24冊)、名城をゆく(小学館50冊)と続いた中でこだわりを見せてきたのですが、

 いかんせん3週間に1冊という配本ペースのせいか事前に準備していた部分以降から校正があやしくなってきています。写真のキャプションのミスとか。

 あぁ明日は「天守のすべて①」の発売日だ。またいそいそ買うんだな、これが。

★お願い

 新人物往来社でも学研でもいいから最新の発掘/復元事例を年報で出してください。いやこれだけブームなら充分元とれますよ。


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